とかげのしっぽ

切り落としても死なない

2024/04/25

1年と2ヶ月ぶり。に、はてなブログをひらく。とくになにか書きたいことがあるわけではない。思い出したので、思い出したことを記しておきたいな、くらいの気持ち。

 

近況。引越し、新居のことばかりを考えている。いまの家から電車で一時間半。都内から都内だけど、ずいぶん果てから果てへ。なんだかんだと色々なところを転々として生きていたので、はじめて、自分の名義でちゃんと借りるお部屋。そのせいで、ずっと、そわそわわくわくしている。築40年木造バストイレ別専用庭付2DK、なんて甘美な響きなんだ…………。

生活の軸をじぶんの近くに限りなく寄せられる(間借りや居候やシェアハウスだとやっぱりどうしても他者を介入させないといけない)こと、幸福だなって思う。たのしみだな。私の城。

生活音がちゃんと気になる木造だから、音の良いヘッドホンを買おうね。

 

きのう、生まれて初めてちゃんとしたライブに行った(高校の時の他校の音楽部のライブと、アイドルのコンサートは、ある。ぜんぜんべつのものでしょう)。目的のバンドの人とお話しする機会があって、たのしかったです、と言ったら、でしょ!?って子どもみたいな声が返ってきて、わたしはその瞬間のことずっと前から知っていたような気持ちになった。なんでだかわからないけどそういうことが多い。期待通りという意味かもしれないし、想定内という意味かもしれないし、わかんないけど、すごく安心したんだよな。二度出会うものってみんな運命なので(かまち然り)こんな運命でよかったなぁって思った。ずっと心がぎゅんぎゅんしてるなあ。谷崎か川端康成などが読みたい。本、荷造りしてしまってから読みたくなって困るな。

 

かかえきれるぎりぎりを結構オーバーした量の仕事をかかえている。たぶん要領よくやれば普通にできるんだけど、いろいろ問題はあってなかなか叶わない。きちいな〜と思いつつ、たからもの眺めてなんとか乗り切っている。乗り切りおわったら、たからもの開封しようね。

2023/02/18

なんと日記をつくってきちんと3日で放置してちょうど1年ほどだった。

すごい。2月ってなにか記したくてたまらなくなったりするのだろうか。

 

相変わらず雑に、見栄を張りながら、でもプライドはかなぐり捨てつつ、なんとか生活に縋り付いている。仕事は忙しい。とはいえ。スケジュール帳を眺めてマネジメント能力の低さにためいきをこぼしている。同世代よりずっとへたくそでいやになる。(けど正直愛しくもある。)仕事のメールやラインを眺めて己のお人好しさに苛つき、散らかった部屋を眺めてベッドに寝転び1日をずるりと終えたりもしている。アアだめにんげん……と罵りそうになるのをぐっとこらえて、とりあえず生きてえらい、と自己肯定をしてなんとか人の形を保っている。今年31歳になるのだけど、ぜんぜんいまも、1人で寝起きやはみがきやごはんやお風呂やお掃除などがちゃんとできることを褒められたりしたい。光熱費も税金も年金も確定申告も手続きができてえらいので100倍褒められたい。

 

ゆうべ久しぶりに映画をみた。(スマホで、アマプラ配信で、パズルゲームのかたわらに、)3本。3本のうち1本があまりにも浅い印象のもので、おなじ監督の別の作品のインパクトのことを思い出して「ほんとうに……?」などと思ったのだけど、べつにおなじ監督だからっていちいちおなじくらいの爪痕残されてもたいへんか、と間抜けな感想を持った。脳みそが疲れているのでむずかしい言葉で考えごとができないな。

のこりの2本は、いよいよ観れたという気持ちのやつと、履修、という気持ちのやつだった。戦争シーンがちゃんと出てくる映画、ちゃんと嫌な気持ちになる。マカヴォイがでている『つぐない』を観たときにも思ったんだけど、戦争ってちゃんといやですね。ほんとうに。

2022/02/21

三日坊主するならばせめて三日書く……の気持ちで、お仕事片付けた名残みたいな体力でパソコンにへばりついている。明日あたりはそこそこ睡眠不足の予定なので、普通に寝そう。

なんだかうっすらと心配していた新しいお仕事現場はなんとかうまいこといきそうな空気ができてきてよかった。引き継ぎの不足はすごく感じているのだけど、大元のちょっとお偉い方々と距離を縮められた気がする。まるっきりの安心ではないけど、とりあえず不安はひとつ薄らいだ。

ガツガツお仕事週間に入るとごはんがおろそかになりそうでそれも少し不安だったけど、アシスタントの子がわたしのごはんのこと気にかけてくれていて幸い。(いつもありがとう)

 

なかなかこう……苦手な人や組織と対峙することの多い年だ。既に。都度、そんなつもりはないけれど自分に立ち返らざるをえなくなる。やさしいひとになりたい。ときどきすごく具体的にエッジがみえるけど、大概はうっすらぼんやりと、思っている。わたしはお客さまという存在がすごく好きで、人間のきもちをぐるりと一瞬で如何様にでも動かしてしまう可能性のある瞬間に立ち会えるいまの仕事がものすごく好きだとたびたび痛感する。わたしがそれに救われた、ないし、人生をひっくりかえされたからこそ、いまだにこうして業界の端っこで足掻いている。やさしいひとになりたい。やさしい世界になりたい。その世界にもやっぱり誰かの(わたしの)苦手な人や組織は立ちはだかっていて、ではどうやって接すればいい、というところに脳みそをつかうことは、苦手だけれど引いて見れば嫌いではない。引いて見ればというのは、共存という広い視野をちゃんと健康に持てているときに思うことである。わたしは大概不健康かつ不健全なので、燃えちまえ!!!と思うことも少なくないのだけれども……昨日も同じこと書いていたけれど、瞬間に感情的になってしまうことが多くて、そのことを考えるとポコンと簡単に自己嫌悪に陥ってしまう。経験則でいえばいずれしゃんと帰ってくるはずなので、べつによいのだけど……。その瞬間瞬間だけで人付き合いに傷をつけていたらちょっといやだしもったいないな、くらいのことは思う。

そういうわたしのことをなんとなくでも知ってくれていてその上でそばにいてくれる大切なひとたち、あまりにもかけがえないな、いま改めて思ってびっくりしちゃった。いつもありがとう。わたしはちゃんと地に足つけて、やさしい世界にならなきゃいけないんだよな。あしたもがんばろうね。

 

 

2022/02/20

せめて三日は続けて書きたい……と思って日付変更から一時間を過ぎて書き始めている。とか言いつつ、明日から初めましての仕事現場に入るので明日書けるかわからない。

 

とはいえ今日はなんもかんもだめな日だったのであんまり書くことはない。ちゃんと朝に起きたのに、寒くて、あと身体中が痛くて唸りながら三度寝をした。

そういえば昨夜恩師の本はお風呂に持ち込んだけど結局YouTube見てしまって読まずに出た。いっしょにお風呂に入っただけだった。よいのだ。本は持っているだけで価値なので……。そういう意味でも電子書籍より紙派である。へりくつ。よいのだ。

持っているだけで価値というか、持ちさえすればいつでもタダで読めるのだ〜すごい!という気の抜けた話をして、青空文庫の立場よと言われたことがあるけど(そのときちょうど、青空文庫で公開されている年代の本ばかりを買っていた頃だった)それもなんというか違うのだ。青空文庫のこと好きだけど、自分のものではないので違うのだ。ネットニュースと同じ感覚というか、情報を摂取している感じで、本読んでいる気持ちとは別のものがはたらく気がする。キンドルで購入してのめり込んで一所懸命読んだ本もあるはあるけど、そういう感覚はそのまんまあった。キンドル青空文庫スマホアプリも、縦書きになったところでそれはどうやらわたしのなかでは特段変わらなかった。理解されなくてもよいはずなのにその話をしたときなんだか少しムキになったのはなぜだったのだろう。どうでもよいことだけれども。

 

今日はお仕事ほんの少しだけした。あとはだいたいたばこを吸ったり、確定申告の用意と言いながらたくさんの領収書の山をただただ眺めたり、メモ帳にらくがきをしたり、久々にごはんを炊いたり、なくなりかけの牛乳を飲んだりしていた。ライン通知が溜まるとストレスがどんどん発酵していくのを知っているので、仕事のラインがもりもり来るたびにちゃんと返信をしてえらかった。普通なのだろうが、このストレスのコストを分析して天秤にかけてそのあと自分を納得させて起動して読んで咀嚼してお返事をすることけっこう苦手だった。苦手だったのにできるようになってえらい。単純に仕事関連いろいろな事項に対しての判断力がついたことが大きな要因だと思う。細々、ゆるゆる、だらだらとでも続けていてとてもえらい……。

 

年明け以降、自分の仕事について、同じ仕事をしている別の人のいろいろな(よろしくないと思しき)挙動をたくさん見ている。わたしって思ったよりちゃんと仕事をしていたのでは、という薄い自信や安心のようなものと、業界に対してのなんだかなぁという気持ちと、それらを経たうえではたして自分ってほんとうにできているのかという自省がごちゃまぜになっている。

業界に携わってどうやら八年目くらいになる(今数えてみてびっくりした)。はじめの六年くらいはひたすらに足元の石にだけ注意してずっと走っている感じだった。このころの、実績としての成功体験があまりにも乏しいことを、何度か色々な人に言われて数年前にやっと気づいた。

成功体験という言葉でなるほどと腑に落ちてしまって以来、そこに固執しているような気がする。いま、他者のどんなアウトな挙動を見てうすらぼんやりとした自信を獲得したところで、喉から手が出るほど欲している成功体験によるそれとはたぶん決定的に違うんだろうなと思ったりしている。知っているし隠しているのだけどわたしはけっこう欲張りだ。

 

さいころおばあちゃんと一緒にお風呂に入るといつも「人のふり見て我がふり直せ」をこんこんと説かれたものだった。そのせいで立派にわたしの座右の銘のひとつになっている。しゃんとした冷静な脳味噌をもってくれば、どんな他者の行動も自分に落とし込んでいけるはずで、反面教師として自分の行動に反映していくなり、自分の仕事に値段をつけるときの参考にするなりができるはずなのに、かなしいかな謎に感情的になってしまう。なんでよ。自分にもまだわからないへんなスイッチがあるんだろうと思う。へんなの。大人になりたい。

 

夜、ああ暗くなってきた、なくらいの時間に、寒くて眠くて怠くて、うっかりハンモックではなくベッドに入ってしまって、気づいたら日付変更直前くらいだった。自己嫌悪に項垂れそうになりながらスマホをひらいたら親友からごきげんな連絡が来ていて、寝覚めのガタガタのあたまやからだがほころんだ。素敵な写真を眺めて一時間を過ごしてようやくベッドから起き上がって今に至ります。たばこを吸って、つめたいお茶を飲んで、お風呂に入って、明日の準備をして、眠れたら眠ろうかな。

2022/02/19

140字以上の文章をかく習慣が途絶えてとんと経ち、自分のアウトプット能力の低下にいよいよ危機感をおぼえてきたので、みたいな理由で、日記みたいなものを書いてもいい場所をつくった。毎日ではなくても、なんとなく細々とでもいいから続けられたらいいな。

たぶん見栄っぱりなので、こういうのはほんとうはデザインとかをみているときが一番楽しい。いっとき流行に乗ってnoteなど書いていた期があるけれども、思想のちがいと、あと上記の理由でブログにかえってきてしまった。良いと思う。わたしはわたしのそういうところ結構好きだ。

 

昨夜は友人たちを家に招いてお鍋を食べる会をした。

幸か不幸か我々は毎週のように(というか、週に何回もの頻度で)PCR検査を受けるような業種なので、用心しつつも多少は安心してお鍋を食べた。じつは前日にも別の友人と親友とに突然誘われてしゃぶしゃぶ屋さんに行ったりなどしたものだったけども、同じお鍋でもぜんぜん趣が違ったのでよろしい。どちらも実りなく楽しかった。オールコレクト。そういえば先週にはすきなひとともふたりでお鍋を食べていた。冬なのでね。いいね。

電車の時間があったので、みんな片付けできなくてごめんねと言って去ったけれども、わたしは家に人が来たとき、そのあとかたづけを一人になった部屋で黙々とすることが結構好きなので嬉しい。祭りのあと、という気持ちになるのだ。いままさに思い出にならんとするまだなまなましい賑わいの余韻が、寂寞と同居している空間が、ちょっと落ち着かなくて、せつなくて好きだ。

 

今日は一日中仕事をしていた。嘘だ。ほんとうは二週間前くらいの仕事で無理をしてから体があんまりいうことをきかないので、集中していくつか仕事をしたら、ハンモックでゆらゆらしたり、パンを焼いたり、たばこをすったり、また仕事をしたり、まえに仕事で撮ったメイキング映像をみて恥ずかしくなったり、Youtubeを眺めたり、また仕事をしたりしていた。夜は親友が明日お呼ばれしている結婚披露宴で着る服を「これでいいかなぁ」と見せに来て、かわいかった。

 

遅く起きたものの、一日中パジャマでいなかったのがとてもえらかった。

最近はちょっと心身くよくよするとすぐにベッドに倒れ込んでいたのが、ベッドのすぐ手前にハンモックを置いたことによってそれが阻止されたのが多分よかった。ハンモックに倒れ込むと、暖かくて眠ってしまってそこで夜や朝になってしまったりすることはとりあえず少なそうだ。昨日のお鍋のために一時的に移動させたつもりだったけれども、意外とここがベストポジションなのかもしれない。思わぬ成功だった。やったね。

 

確定申告の準備をもうすこししてからお風呂に入る。お風呂で恩師の本を読むのだ。これです。

https://www.amazon.co.jp/死してなお踊れ-一遍上人伝-栗原-康/dp/4309247911

たぶん向こうは恩師になった記憶なぞないと思うのですけども……。講義でこのひとが放つ言葉は、やたらめったらひらがなにひらいていて、ずいぶん荒唐無稽に聞こえていたものだった。しかしそのふにゃふにゃした言葉たちは、どうやらふにゃふにゃからは生まれていなくて、そのためときどき鋭利だった。毎日真綿でゆっくり首を絞められているような気持ちでいたわたしは、その鋭いやつにふれたことが救いのようで、簡単にほどかれて、(良いのか悪いのかわからないけど)軸をきっちり磨かせ尖らせたと思う。わたしはこの人のおかげですこしその自分の真綿のなかみを知れたし、強くなったのだとずーっと思っている。

いつか本人に言おうと企んではいるけれども、言えなくたってべつにいいかもしれないな。

 おわりです。