2025/07/07(地図にない森の奥)

TaNaBaTa Night vol.17、鶯谷は天の川のほとり。ずっとありがとうと大好きが止まなくて、いまもまだフロアにいるような気持ちでいる(いまは7月9日の朝です)。いつもとおんなじ特別な夜でした。たからものを並べるだけの日記です。

 

一年前のはじめてのTaNaBaTa Nightよりも、一対一で向き合って居る、な、と思った。ライブハウスの興行に足を運ぶことに多少は慣れてきて、きょろきょろすることも減ったのも理由の一つかな〜と思うのだけど、それ以上に、やっぱりあにーさんが「みんな」って言葉をつかって一人ひとりずつに音楽を届けようとしてくれているのを色濃く知ったからなのかなと思う。一年前からのあいだにいくつか、できるかぎりのライブに行くようになって、都度この人はほんとうに今、この、一人ひとりに届けていくこの時間のことが大好きなんだな、って、いろんなかたちのライブみてそのたび重なっていった。

 

セツナライトの、重く透明な時間のこと。濃ゆいピンク色のこと。イントロこんなにずっしりとおなかに届くんだったっけ。会いたいな、って思い続けていること、いたこと。会いたいなんて思うこともできなかった過日を思う。会えてることのすべてが奇跡と思う。たしかな重力をかんじて、でも軽やかにはずんでいく音たち。飛び跳ねるよろこびたち。その触れた瞬間のたまらないせつなさ、なにかが始まっていくこと、(それはゆっくりと終わりのかたちに向かうのに、いつまでも身体に残り続けること)瞬間の、胸を締め付けられること、その痛みが信じ難くいとおしい高揚をもたらすこと。いまだってどきどきしている。まとめて風に変えるよ、の涼しげなこと、約束を運ぶ風になっていったこと。

 

風をとても感じる日だった。最初はどこからくるの?だと思う。会いたいな意味もなく、愛だとか恋じゃなく、繋いでは解けてく、くるくるの髪のように、それを靡かす風が吹いて急に地に足がついたような心地になった。ふつうに空調か?と思ったけれども、そうだとしたって。大音量に耳が慣れてきて夢に酔ったような具合の脳みそに、夢じゃないよ、と吹いてきた。呼吸にすっと割り込むさまはどうしたって、ライム色の爽快な風のシルエットなのに、抱き締められたかのようなしっとりした熱が肌をさらう。ロックンロール、ほんとのことなどわかるわけないし。でもさ、いまここは現実ですのでね。と、嬉しくって走り出したくなった。

 

ほんとうにまじでレポとか1ミリもなくて日記なんですけどいいですか ここはおれの日記帳なのでいいですね はい あにーさんの喉が調子悪くなっちゃったのってどこだっけ、もう忘れちゃったんですけど、ライブでそういうことあるのが「2回目」ていうのが、ご本人すごくこわかったんじゃないかなって思うんです。1回目のね原因が謎だったのならば余計に。予感を得た瞬間の背筋の冷え、勝手に自分事としてぞっとしてしまって、自分のことじゃないのに、ちょっとフラッシュバックがきた。一人芝居の本番初日1日前に突然なんの前触れも痛みもなく突然まったく声が出なくなった出演者と、その興行をともにやっていたことがあるんですけど、最悪のパターンに向けての準備をはじめたり、していた、一瞬で過ぎた夜を思い出して、足がすくんだ。(すごやば有名病院の夜間診療に駆け込み、結局もらったステロイドかなんかとマヌカハニーとプロポリスと漢方と抗菌剤?みたいな謎のやつを絶え間なく摂取して1週間を乗り越え、表向きにはことなきを得た。エンタメに生きる人の、ほんまそういうところ、である。)(関係ないけど、モーニングのフクムラダッシュのこととかも思い出した。ほんまそういうところである。)(関係ないけど、わたしは、つんく♂の声のことも、ちょっと受け入れきれていない。)

はけていったときはこわくなかったけど笹抱えたあにーさんが「あにーさんの喉が元に戻りますようにって書いてるのないかな…」って言ったとき、ああ、喉、てなって。あにーさんが不安であることに対して、ンモー!!!あの!!!!!かみさま!!!!!!!!となった。2回目ってさ、2回目の真っ最中がいちばんこわいってわたしは思う、1回目のこわさのことが蘇る、二度と戻らなかったらどうしようもよぎる、いつものことというほどのことじゃないから、ぱっと対処することもできない、こわすぎる。だからあにーさん、何度もステージに戻ってきてくれてほんとうにほんとうにほんとうにありがとうと思った。わかんないけど、わたしはあにーさんじゃないからわからないけど、すごくこわかったと思う。わかんないけど。で、それで、そこに立てていたのは、かずやくんやアフロックやイチくんさんがいたからだねって、戻らなきゃときっと思ったのはわたしたちがいるからだねって思うし、戻れたのはきっと裏のスタッフさんたちがいたからだねって思うし、だから、そりゃあコップもいっぱいになってしまうよなってなった(おれは日本語をあきらめた。いいんだもう、日記なので)

みたいな、本当はどうあるかも知らない逡巡に気持ちを馳せながら、アンコール呼びながら、どうかこれがありがとうであることだけは伝わってねと祈っていた。なんか、なんだ、プレッシャーじゃなくてありがとうなんだよって伝わってねと祈りながら手のひらを叩いた。

 

だから、やわらかいまま張り詰めたような1音1音を、あの身体からわたしたちに向かって旅立たせてゆくみたいに丁寧に発された春の向こう側の歌い出しが、いまだに、胸に響いてたまらなくてうれしくて苦しい。

 

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このあと

 

会いたいな、

 

だけ書いてこの記事時間切れ封印していました、書ききっていないけど、ひっそりと公開に切り替えておきます 残しておきたいので…

2025/01/12

真冬の七夕の夜に浮かぶ愛だったのでした

TaNaBaTa Night in Winter vol.7に行ってきたよの日記

今回も同行ありがとうきち先輩、厳密にはおそろいじゃないんだけど、てづくりたなばたTシャツ着てくれて、いっしょに飛び跳ねてタオル回せてとってもうれしかった。ずーっと安心していた。きち、いつもいっしょにいてくれてありがとう。だいすきだよ〜

 

愛だ。というきもちに満ちている。冷めやらぬままに当日の23:25くらいから日記を書き始めています。記憶はすでにおぼろげですが、バンドのライブってなんか、そうなんだね。これは弾き語りとの差に気づきというメモです。

バンドとしてのTaNaBaTaのライブにいくのって20240707以来なのですけど、そのときには初めましてすぎてなんにもパヤパヤ…というかんじだったのが、なんかちょっとだけわかってきてこれが楽しい、になってきたわたしのただの日記。です。二度目三度目、なんだけど、すでに癖になってるのが終演後の耳ボヤ〜としたままなんとかして歩き出すこと、その歩みにわたしという容れ物の軽さを感じること、かもしれない。夢と現実の狭間みたいな気持ちでキリン淡麗を全身に回すと、余計なもの全部声と汗になって乾涸びて、必要分だけの愛の器となっているかぴかぴの砂漠みたいな身体に沁みて、染みて、渡って、うわあ生きててよかったと思う。うわあーここにたどりつくためのこれまでの幾星霜、すべての、悲しみも喜びも、わたしをここにつれてきてくてありがとう。こんなうまい酒があっていいんだ。いいんです。わたしという器はいま愛なので。と、なること。酒飲みの話ばかりするなほんとうに私って

 

たぶんどあたまだと思うんですけど、まんなか若干上手くらいのところのオレンジ色がジッ……と消えていくような照明に、わたしは昨年一昨年とかかわったとある舞台のことを思い出し(わたしとは舞台演劇業界の人間)て、いのち、と思った。線香花火をモチーフにした舞台で、自死を選んだ人と、その志願者たち、ともにある人びとの闘いや願いを描くような……こんな平坦ないいかたでいいのかわからないけど、そういう、作品で。わたしの、仕事とか関係なくあまりにも大切になってしまった作品の、おしまいの演出にとても似ていて(舞台では実際に火を使って、花火をしていた。それがどうしてもいのちだった。その演出をやりとげんとするその演出家に心酔した)、ここまでの三十余年がぶわっと蘇ってしまい、一瞬で心を奪われてしまった。べつにくだんの舞台のことがなくたってそうだろうとは思うんですけど、これはなんか、悔しかったから書き残しておく。

 

例の如く思い出し順です、アンダンテの話をします。ぐだぐだの(愛しいね)MCに続いて感情のディフェンス部隊壊滅の寸前になったわけですけれども、その入りに地球の揺れをかんじていた。なんつう照明。ライトパープル?ピンク?が分度器まるごとみたいな角度に地球ぐらりと揺らして、そのすきまに黒い光が照らす、あにーさん。負けた〜〜と思った。勝つ気だったんですか? いいえ。

今回すごくなんか、楽器の音が楽しくて。20240707よりも、楽器を聴いていたか、あるいは聴こうとしてたな、と思う。なんでだろう。弾き語りを経たのもあるのかもしれないけど。なんでだろ……で、アンダンテなんですけども。ぎゅいーん ぢゅいーんのギターに引き裂かれて、ベースにドラムにむき出しのその傷を叩きのめされて、って感じでぎたぎたにされてしまい焼きついて離れない。最高になってしまった。地球、3回揺れてた。あとほんとうに信じらんない良い照明だった。悔しい(どうして…)

 

いきなしアンコールに飛びます。春の向こう側。グリーンとあわいピンク、夏と変わらないはずの色あいのなかに、ずっとなんだかはっきりと雲が見えていた。スモークのもわもわ白いのではなくて、なんなんだ、入道雲の赤ちゃんの影みたいな、の、がずっと見えていて。わたしこの雲のこと知っている、と思った。17年前? もしかしたらもっと前?、たぶん高校生とかのわたしが、自転車漕ぎながらみていた広い空のふちの夏の雲のかけらだ、と思った。ぜんぶが後ろめたかったはずのがわたしが、きっとその声に言葉に音楽に導かれるまま、気づかないうちに、あたりまえみたいに今日までの待ち合わせをしていたんだな。風をまとって、虹をすべって、今日のここに辿り着いている。あのころ夢中になっていたところに、(きっと一旦は手放したあとなのに、)いつのまにか、足が勝手に覚えていたみたいに。へんなの。へんだけど嬉しくって、わたしって何度でもこの曲に救われてしまうんだろうなって思った。田んぼのまんなか夏の雲のちぎれたところでも、待ち合わせをしていたんだな。わたしは。

春の向こう側で、待ち合わせをして。その詞にひょいと掬われてしまった配信のこと思い出した。だいじなものならば。もしもたとえ忘れてしまったとしても、なにかひとつてのひらにあれば、いやそれさえ忘れたとて、網膜が鼓膜が身体が求めているのなら辿り着ける。だいじょうぶだなんだって思い出せるんだわたし。「わたしに必要なものはたとえわたしが忘れたって全部わたしの身体に残ってる」て勝手にずーーっと信じていることなんですけど、これってそれだ、と思った。ぜったいに辿り着ける。確信を得てしまい、無敵になってしまった。もう強いぜ、わたしは。ずっとずっと大事なうた。

音楽は続く、だからきっとだいじょうぶで、今この瞬間も、いつかの待ち合わせにつながっている。そういうふうにできているから、安心して眠れる。

 

秘密にしようぜ。照明の話ばかりしてしまうんですけど入りの照明あまりにも、あまりにもずるくて泣きそうになった。古いフィルムゆっくり1コマずつみせていくような。(書いてるのが春の向こう側の次だから言うんじゃないんですけどこれ ほんとうに たまたまです)

イントロなどの、シンバルですか?(記憶、無)の音にあわせて、ハイビームのヘッドライトかのように。ぱん!て明く弾ける。くらやみひとつも残さない、でも白じゃない。かぎりなく明度のたかいたかいセピア色、知っているこの色、といま書きながらやっっと気づいたんですけど秘密にしようぜジャケットのおばけさんのうしろのカーテン照らす色だ。コマ送りみたいな照明、ずっっっるいでした。そんなん。そんなん!!

その、照明が、うしろで2灯ずつにばちんばちんとひかるから、そのあと強火から中火くらいにおちたそのあかりが、陰性残像ほんのちょっと黒が残っていて、残ったところにまたひかるから、ちょうど今回のたなばたロゴ?のかわいいおめめみたいに光にかさなって、おばけ、帰っていく、ここに、と思った。

制度からこぼれたひとしずくが文学、というのはわたしの恩師(恩師? もとい、とても、言葉に影響を受けている人)の言葉なのですけれども、『秘密にしようぜ』はそのしずくと思っているふしがおおいにある。そして、そのしずくがぴちんと跳ねて、世界に出会ってしまった、出会ってしまったと思ったけど、出会うべきに出会ったのだということ、と、半分、思っていて(もう半分は、わかりません、それはおばけさんの掌中)。宝物を見せてくれてありがとうって気持ちなんですけど、見せてくれたそれは絶対的な宝物ではなくて、時間や背景が物語が感覚が心が郷愁が、透けている、澄んだきれいな石なんだよな。それを写し取られたような演出、照明、あーあ、感嘆してしまった。息を呑んだ。あのフィルム。なんか、マイブリッジの動く馬みたいな。いや全然違うんですけど。高速スライドみたいな。いや、違うんですけど(なになん)。見えないものも今夜なら見えるよって こと…?(!)

あにーさんにしか見えないすてきなもの、大切なもの、大切なのに見せてくれてほんとにありがとう。ありがとう、とってもうれしいんだ。そんでわたしは、わたしも、どうしようもなくても、わたしが愛しいと思うわたしにしか見えない大切なものを(そのひとつにもちろん今日見せてもらった宝石も、いまから耳に棲む予定のたからものだって、入っている)、生活に言葉に刻んでいく。もしも、みつけてもしもさいわいに共鳴したならば、あなたととわたしだけの秘密にしようぜ。という気持ちで、わたしのひとしずく、生活とディレッタンティズムを刻む。

 

多少ばかし物語めいたことを思った話をしたのでもしかしたらそういうことかもしれないのをつづけます。LOVE以外です。

「神様が作った瞬間よりずっと ずっと」、のこと、ばかみたいに信頼していて、わたし。

LOVE以外ガールてさ、祈らないんだよな。カボチャの馬車がもしも動いても、わたし用にサイズあつらえられてるガラスの靴があったとしても、そんなんじゃなく、欲しいものって幻想やおとぎ話や目に見えないものじゃなくて、「あの人の第二ボタン」ただそれだけ。欲しいの!!が、くらくらするほど愛しい。ホワイトチョコとおんなじ、攻撃的な甘味。ひらひらとフリル見せびらかすような。たまんなくいじらしくて、わがままで、ぜんぜん上手くならないポニーテールを「見てよ」って思えることなんて羨ましくさえあって、胸のまんなか、肋骨がろうそくになってとけちゃったみたいに、まわりの皮膚がぎゅんと熱いよ。

煩雑すぎるブルーライトに絞り込まれた嘘みたいな世界だとして、わたしの覚るわたしって実在としてそこにいるわけで。青い光のなかでもわかるくらいに光る、燻らない熱情の歌、だ。だっていらないんだなにも、それ以外は。

(ここから悪い読者をします)ほんとうに欲しいものがほんとうはわかってない、だと、思っていて。泣き出す前のはかはか苦しくて呑み込めない、吐瀉の前の吐息に似た「だって」。あにーさんの歌声ってずるいな。あんなに激しく歌うんだからすこしくらい手のひらやあたまに残ってたっていいのに、揺れて触れてすりぬけていくから、捕まえられなくて困る。拗ねた台詞みたいなリフレイン。投げ遣ったような「何もいらないし」。深夜26時。そのまま走っていくといい。ずっとずっと、隠しごとのままわがままでいて。目が眩むほどに不器用で嘘つきでわがままなガール。走り去る姿、こんなに抱きしめたい、勇敢なガール。ほんとは何が欲しいかわからなくて不安で、だからこんなに走ってて、だからさLOVEが欲しいよね。

圧倒的に一人なんですよねLOVE以外ガール。点と点で線、みたいなの無くて、ひとりの点だなと思ってて。「私」が一人で立っている。のが、勇ましくて仕方ないんだ。ものがたりってボーイミーツガールみたいな線のなかにうまれるようによく見えるけれど、文学はひとりのなかにふつふつと募る(もちろんそこからものがたりも、うまれる)、その煮詰めたようなギラギラがわたしはいつだってたまらなく好きで、だから、LOVE以外ガールのことめちゃめちゃに愛しい、ていうような気がする。鋭く濃くすこし苦い、べっこうあめみたいなガール。ぜんぜんうまくならないポニーテール。ほとんど羨望。眩しいのに重たくて、そう、なんか、殊に重力?を感じる。気がする。気のせいかも。おとぎの国から飛び出して、薄い絵本を抜け出して、地に足つけて、走り抜けてっちゃったらそらつかまえられない、羨ましい、胸が痛い、そのままでいて。いつか果てるまで。LOVE以外は有限よってこと、それってつまり ってこと。わからないことにおびえてなんかいないふりして、愛だけを求めていてね。走っていてね。これあにーさんに思ってることかも、勝手にクソデカ感情背負わせてほんとうにごめんなさい。でもねこれ曲だけでも歌詞だけでも音楽だけでもこんなこと考えなかった。どうしてくれるの。あにーさんの声って何? ものがたりだった。魔法だった。なんだこれ。もうここまでだけで2晩練りましたけどこれ以上まとめられません。私の負けです。どうなっているんだ。

 

とつぜんUnknown girlです。すみません思い出しの順なもので……。あなたが集めた大切なものを透明な箱に透明な鍵でしまっておくから盗まれないように壊してよ、を浴びながら、壊してと叫びながら。秘密にしようぜのことを思い出していた。ひとりぼっちの部屋に、閉じ込めて、誰も触らないで、忘れられないものを忘れたくなくて時が止まればのたらればをこぽこぽ沸き立たせながら、その内から壊れて溢れた大切なものたちのことを思う。今じゃんか、と思う。大合唱しながら、これ夏にも思ったことだったけど、君の胸の中この手を伸ばすことができるなら、と、いっぱいの愛に満ちたライブハウスで思ってた。でもほんのちょっとだけ違った。「壊して!」へのアンサーみたいだ、秘密にしようぜ。一人の秘密じゃなくって、おれたちの秘密に、しようぜ。バイオテクノロジーおれたちのたくさんの声、痛いくらいの楽器の音、目を閉じてしまう。なにかが生まれるときっていつだって痛い。わたしのこんなちっちゃい心臓ぎゅっと搾って壊してよ、あのこぼれるしずくがここに生まれちゃったらいい。

17年歌い続けている大切な歌をいまも歌い続けてくれていること、大切な歌はその芯はきっと変わっていないのに、たぶん新しくなり続けていて、なぜなら奏でるものたちが、TaNaBaTaが生きているから。

あのころにかえる、みたいに聴くことってひとつもなくって、でも身体はちゃんとやっぱり覚えてて。ずっとそばにいたんだ。と思って嬉しくって秘密にしきれずしずくになる。今のわたしにもあのときの私にも別の温度で沈み込んできてすごい。たなばたってすごいや……。

 

そうやってずっとわたしの身体に流れる音楽としてそばにいてくれてたんだねって言葉と振動で気付かされてしまう。TTTMの話をするとお思いでしょう、その通りです。always on your side. 血肉に細胞になっていってるんだ。そばにいるって、皮膚や空気を隔てるものと思ってた。身体の中にいたんだ。何度でも書いてしまう「大事なものは忘れても身体が覚えてる」、ほんとにここ10年くらいずーーーっと信じてることだったけど、語りかけるってそのことだったんだって気づいて、クアトロごと全部抱きしめたい。思春期、希死念慮、コンプレックス、東京、あきらめ、人間関係、ハラスメント、コロナ禍、お仕事、情熱、希死念慮希死念慮、じぶんの出来の悪さに足掻く過日、あらゆる苦しい日も、嬉しい日はもちろん。そのそばにずっと音楽の妖精が、八分音符がずっといて手を引いていた、慰めていた、折れそうな首の骨をやさしくまあるく撫でて、冷えたつまさきに血を送って、かちかちの右手にライター握らせて。わたしが飛び跳ねれば一緒に跳ねて。さまよいそうな夜にはきまぐれに宙をとんで見上げさせて、きれいなお月様やわずかな星を見せてた。そうだったんだな。うわあ。気づかなくてもきっと生きていけている、でも気づいてしまって、気づいてしまったことがこんなにうれしい。しゅわしゅわに爆ぜてしまいそう。

ああ指折り泣いてた、旋律になどなれないままだった、狭い暗い154センチのわたしの身体にかつておろおろと足音たてた鼓動たち、ねえ、いまならば言葉になれなくても声になれるよ。歌があるので。音楽があること気づかされたので、思い出せるものがあるので。だいじょうぶだよ。

ずっと不思議だった。わたしがわたしに大丈夫だよって言うときってなぜか根拠ない慈しみがあった。ここにその泉があったんだね、って思った。みなもとには、たぶんまだまだ気づけていないものがたくさんあるんだけど、でもわたしTaNaBaTaには気づけた。いまはっきりと気づけてよかった。八分音符が愛になって、体を巡って、どこにも出て行かずにそばにいてくれてありがとう。言葉にしたらくすぐったくてたまらない。 この人生のこと、だいすきかも。今晩お風呂に入ったら抱きしめてみようか、己の頼りない肩などを。

 

流れ星が流れたこと。スターオーシャンこんなに穏やかな海だったっけ。七夕は真冬の夜にもそう。星の海ってこんなに広くて大きな翡翠。温泉に紛いそうな穏やかないいにおいの凪。こんなに音が溢れているのに、あたたかくざわめく波。泣き出すくらいに臆病なこと。みなもを駆けていったミラーボール。流れ星、スターオーシャンのイントロでぜったいに流れたんですけど、もうどんなだったか覚えてない。妖精だったのかも。かわいかったんだ。つかまえられなくてもここで会えること、知っている。広い広い星の海は、ともすれば放り出されたら迷子になりそうで不安になりそうなものなのに、スターオーシャンていつだってこのうえなくやさしく揺れて攫っていくから、ねえダーリンってその声も、ひとつひとつの小さい泡も、たしかに届いて欲しいところにぜったいに届くから、どんな気持ちも瓶に入れなくても漂わせてしまえる。届いてね。ありがとうをちゃんと届けてね。光の揺れる星の海。どんなきもちもたった5文字に詰めてしまうけれど、いっしょに詰めたこの空気ごと届いてね。

 

さきにちょっと書いちゃった。七夕は真冬の夜に。比較して思い出すことがどあたまのほうの寄ってらっしゃいなのは、視覚のせいかもしれない。寄ってらっしゃい、赤提灯みたいな照明わかりやすく印象的で、乗せてやるぜこの波にという気概がえぐかったな。夢中だったな。てのひらが鳴ることって楽しい。あ、七夕は真冬の夜に。です。さきにちょっと書いちゃった、温泉みたいだった。TTTMのジャケットのあの色合いにわたしはじつは馴染みがある。地元の、隣県との境にあるお山、そこにある火口湖のこと。お山にあいたおおきな口。あさぎのような色した五色沼。光をはねかえしてどんな色にも見えそうな水を湛えたお山は、お山のくせにたおやかで、しっとりとわたしたちを見つめる。登るたびにわたしはそこに気圧されながら、ただいま、としずかに思うのだ。ただいま地面、ただいま緑、ただいまお山、ただいま空気。はりつめる初秋の空の匂い、こもる身体の熱。下山したら会えなくなるとんぼたち。力強く咲く、名前も知らない紫色の花。普段きれいに忘れているそういう郷愁のようなきゅんとしたものが、メロディラインとともに流れ込む。想起するジャケットとかまどのようなあたたかさとゆったりしたリズムのせいで、私の胸に楽しそうに訪れておどる。日光浴よりも安らかな、まどろみに似た心地。ともすれば眠ってしまいそうなところ、ほっぺたやさしくつねるようなドラム。なんだかうまれる前みたい。ずっとゆらゆらたゆたっていたい。眠りに落ちる一瞬前の、いちばんきもちよいときとおんなじだった。

 

たのしいうれしいしあわせ、のあと、夢じゃなかったことの証左として、醒めないことが、うれしいなって思う。書ききれなかったどんな瞬間も現実で、18時半は永遠じゃなくて、指先に血が滲むほどはちきれんばかりに愛を歌う人がいて(そのひとはどうやらどうしても、幸福そうで)。愛おしさに満ちたいまをひとつも漏らさず焼き付けたいのに鼓膜も網膜も欲張って譲らないから、記憶媒体はんぶんこずつになっている。

夏と似たことを言ってしまうんだけど実感したんだやっぱり、わたしたちからあにーさんへの愛、なんだよって思う。2時間かけたコールアンドレスポンス。愛です!って差し出されて、こちらこそ、愛です!って返すためにひとつになりにゆく時間。きれいなものたくさん集めたの、みせてくれてありがとうっていう愛。

あと60回以上のすてきな夜に、これからもたからものたくさん見せてくれるってこと。えへ明白な道筋ってぜんぜんきらいじゃない。それってこれからもたくさん見せるからねってこと。いっぱい聴いてねっていう台詞だってそう。

棲みついた音楽にふれるたび、きっとわたしはまた、剥き出しの五感とちいさな脳みそ、こんなふうに喜ばすんだろうな。思い起こしたものを赦したり、抱きしめたり、していくのだろうな。ありがとうって、これから何度思うことだろうか。待ち合わせがずっとつづく、おとぎ話みたいで本当の話。醒めない夢は夢じゃないってこと。音楽はいつでもこの胸の中にある、こと。言葉にできないたくさんのもの、今すでにいっぱいあるのがもう順番に宝石に変わっていってること。きっとこれからも増えていくこと。鍵のない宝箱なんてないってこと。忘れないように言葉に隠して、こぼれてしまうまで身体に隠して、ぜんぶぜんぶ秘密にしようぜ。

 

 

2024/11/24(目をつむっても見えるものしかしんじないよいつでも)

くろねこの音楽会 名古屋にいってきたよの日記

同行者きちさん、緊張でぶるぶるしていたわたしとずっと手を繋いでくれていてありがとう

 

完全生音、お寺の空間。お線香の香り。木ってやっぱりいいなあ、ここちよく響く。ぜんぶが体にわかりやすく響く届く貫く染み入る。ひろがるのに散らない。抱きしめられる大きさで手に届く。みたいな感覚。ふしぎ。舞台の上にはずーっと、覚えたての感情にはにかむ少女みたいに笑うあにーさんがいて嬉しかった。けどときどき目を瞑って、ただのふたつのふるえにうたれた。音の泉の中にいるの、たまらなく心地が良かった。

上向けばその声はミルククラウンのようにはじけて。下向けばしずかにみなもに広がる波紋のように。まっすぐ前向けば透明なでっかい杭か、槍か、迷わず胸を打つように、あるいは懐かしいドッジボールのストレートのように。ありがたくも幸運に前から二列目とかに座っていて、あたりまえに振動だって伝わりそうな距離、じっさい弦がふるえる空気が何度か伝ってきたような気がする、気がするだけかも。 ぜいたくだな〜じっくり聴くぞ楽しむぞ〜!みたいな気持ちでいたんですけど、休憩明けくらいからもうだめ、ただただ、わああ音楽だ!楽しい!!!!だった

 

セトリ追いたいんですけど脳みそがどうにもなりそうにもなくて思い出し順です。アンコールで楽しいに乗っ取られたあにーさんのことばっか思い出すので、そのはなしをします。

あにーさんが舞台を降りて靴を履き(!)、られない歌いながらぐるんぐるん歩き回って歌っていたの、本心は知らないけど見かけには、わざとへんな言い方するとサービスとか じゃなくてね、本心の「オウ全員!!!楽しいね!!!楽しいよね!!!楽し〜〜!!!」だと思っていて、それがあにーさんの、愛すべきあにーさんたる所以だななどと思ったりしていて。あにーさんが入口側の空席に座って歌えばみんなうしろ向いて思い思いに体をゆらしたり、ゆったりと首を振?ったり、していてさ、全員がにこにこあにーさんを見守っているみたいで、しかしその音楽には酔わされていて、なんか、とっても、不思議な空間で。本当におかしいんだけど、なんかみんなで焚き火囲んでいるみたいだったな。あったかくて、落ち着くんだけど楽しくて、口角が上がっちゃうの。いいなあ今がずっと続いたらいいのになあ、と百回くらい思った。百回はうそかも。二百回かも。

あと、あれがかの有名なあまりにも自由なあにーさん……ワ ほんとだ消えてった…そして戻ってきた…え おもしろ……とか思ったりもして、シンプル楽しいにおちゃめトッピングでさいこうでした。なるほどとなった。

 

つぎ

自称地獄確定のあにーさん(!)が閻魔さまの前で生前なにしてたんだと言われたら歌う一曲、がロックンロールなの、ほんとうに、なんだ、なんか、なんだ、生まれてきてくれてありがとう の 気持ち……。

What do want you? Do what you want to do!

あにーさんに負けずわたしだってたいがいやりたいことばっかりやっているわけですけど(それにくっついてくるやらなきゃいけないことを嫌々やったり逃げたり逃げ遅れたりしており今だってほんとはなんとかギリギリ、ようやく虚勢を張れるくらいになんとか、でやっており、負けないんだから)(何比べ?)

したいことしかしないことがしあわせって歌ったのの結果が2024年のわたしに差し込んでいる晴れやかさだとしたら、それは救いでしかないのである。

なんか、今日のあにーさんの声には太さを感じることがたびたびあった。野太いとかじゃなくてね、堅牢さというか。まっすぐに届く、透き通った太さのある声が、肋骨の間を突き抜けていくたびに苦しくて嬉しくて解放されるような心持ちになって、なんかたぶんものすごい顔をしていましたね。今日一回だけやっちまった爆泣き屋さんでしたね。

救いとか解放とか言いましたけど、「大好きな人が、大好きなもののことを大好きですごい」みたいなのに圧倒された、でもある気がしている。ライブ中、何度も何度も、愛おしそうに頭を擡げて唇の端を上げるあにーさんが見えた。その空間を共有できていることが嬉しくて、わかりませんがちょっと誇らしくて(?)なんか照れた(?)。全部なんでなんだ。

あのね、名古屋行きを決めてからちゃんと読んだ小坂井大輔さんの歌集『平和園に帰ろうよ』、のなかに、ウワーこの歌に出会えてよかったこのために名古屋のライブ行けることにしてよかった平和園のこと思い出せてこの一冊を買うに至ってよかった、と心底思う歌があり。以下に引きます。

ありとあらゆる部分を使い自販機のボタン同時に押せよ 叶うぜ

この歌に心を奪われたと同時にまだ見ぬ平和園がなぜか「帰る」場所になった気がして、帰ろうね、と思ったのですね。これは余談。

なんでだろう〜ロックンロール、聴きながらこの歌のことをぼんやりと思い出していた。したいこと なのかどうかはさておきかもしれないけど(わかんないけど)、私って私たちって「叶える」ができるんだぜ、って手のひら振ってる気がする。それがしあわせかどうかも、さておき。しあわせもふしあわせもきのうもあしたも、自販機のボタン同時に押せるパワーと、ロックンロール、強いハレーション、おなじちからだと思う。眩しくてくらくらした。わたしもどうせきっと行きますので、いつか地獄でもいっしょに遊びましょうね。Tシャツとタオル忘れずに持って行きますので。大好きな歌詞。大好きな曲。大好きな空間。のうみその中まで。大好きな時間だった、ロックンロール。一番お気に入りの曲かも、から、一番大大大好きな曲です!!!!!になった。大好き。

 

つぎ。

ギターの音が、こんなに表情豊かだということを体感させられたのって初めてのことだったなと思う。全体的にそらそうなんですけど、その幅の広さにおののいたのがガラスのゆめとチョコレートミーダウン。弾き語りっていうか演奏に聴き入って吸い込まれそうだったのが耳鳴り。

 

ガラスのゆめ。やさしくて、繊細だけどか細くはない確かな弦のふるえ。小さな生き物を撫でるような歌声。生活をしているとなぜだかたびたび口ずさむうた。したいことだけしかしないことをしあわせとして故郷を放り投げ(たつもりになっ)て東京で暮らすわたしに勝手に染み付いているのかもしれない、など、と、思い当たる。故郷で聴いていた歌声にいまも体の芯を支えられているなと気付く。最初の街にもきっと最後の街にもあなたの声が沁みた背骨をもって生きているよ。やさしいギターと歌声にくるまれた、あたたかい木に反射するガラスのゆめのこと、また東京のおうちで何度も思い出すのだろうな。

 

ギターの輪郭の変化の果てしなさをいちばん痛感したのがチョコレートミーダウンかもしれない。アコースティックギターって(←追記、合ってますか?フォークギターてやつですか?ギターのことが何も分かりません、木のギター…)こんなに熾烈でよかったんだっけ!!!と思った。そういえばカタカナのバージョンだ。ギターの熱量が弾き語りと聴いて想起するそれではなかったから、そうか弾き語りか……!となった。今。

すごくほんとに変なこと言うんだけど、しかくにもまるにもさんかくにも聞こえるふしぎな楽器だな…て、とても思う日だった。ギター。チョコレートミーダウンは、鋭い三角定規みたいな音だった。(あ こういうこと言うの理科室少女だったらそれっぽくてよかったな。って今気づき。うわー今ちょっとあにーさんのMCぽい気がしちゃった。なんで。バイオテクノロジー)そして燃えるようだった。力強くも濃く深く甘くて、お砂糖みたいな「透き通るまで」。なんか、もしかしてチョコレートよりカラメルな弾き語りだったな。

 

ただ耳鳴りの中へ。だったと思うんですけどたぶん…ギリギリ記憶がない…ギターそれどうやって弾いてるん……だ……? ってなった曲がありました。吸い込まれてしまうかと思った。そしてそれはそれとしつつ弾き語りの耳鳴りのこと好きすぎる。歌い終えたらしぼんで消えちゃうんじゃないかってくらいの圧、濁りなくシャープな声、それがほんのすこし荒げられること、あと絶対にずっとこの曲と歌詞と歌が大好きなんですけどそれをこの圧で浴びてしまえること、ためいきが出てしまうよ……胸が詰まって身動き取れなくてクラップ途中で一回できなくなっちゃったよ……

 

クラップといえばなんですけど、アンコール呼び込みのクラップ、永遠に終わらないでほしいくらい、きれいだったなあ。あれがもう、一曲だったなって真剣に思っている。目を閉じて、全員の手と手で鳴らすあにーさんへの愛を聴いた。目を開いたらステージの上のきんきらが今か今かと待ちわびていて。高い天井までやわらかく響いた、バイオテクノロジーたちから鳴る音、すっごくきれいだったな。

(寄ってらっしゃいのお手を拝借(←※ではなく、プラネタリウムの裏拍?だっかしら、これは追記)皆上手くない!?てびっくりしていたかわいいさんがいましたけど、もしかしてこれ関係あるかもしれないね〜)

(足音とギターのおなかたたく音も、満月の日の月明かりの重たさで、すごく愛しかった)

 

最後の最後のDecember、の最後の最後、舞台に腰掛けて足を組んで、おひざにギターのっけて演奏していて、フィンガリングノイズっていうんですか最後のキュッて音(いま調べた)の直前の数秒間、ギターのこと抱きしめてキスする姿みたいで、それを見守る客席は明け方に近づいた瞬間の星空みたいで、これって今日の全部だ、と思った。

 

 

わあ、歯型の痛切なほどの。ラムネガールの軽やかな。理科室少女の悶えるような。プラネタリウムの、春の向こう側の、秘密にしようぜの、LOVE以外の、わあ、わあ、言いたいことがいっぱいなんですけど 永遠に終わらないので いったん閉じます。永遠に終わらない分はひみつにするか。しましょう。しようぜ。そしていつかわたしとなってわたしの言葉としてまろび出るのでしょう。それでいいんだから。そうなりたいんだから。そのために一回すごくすごくさみしい。

(こんなこと言っておいてぜんぜん追記するかもしれないけども………………おれは誰かの秘密は守れるが自分の秘密はあんまり守れないため……………………)

 

終演後さ、指先ずっとぶるぶるしたまま、あにーさんが現れる前に爆速グッズ購入をやり遂げ(出会ってしまったら記憶が全部燃え尽きるので…)、ローソンで邪気を注入し、迷子や平和園チャレンジを経てなんとかかんとかお宿に戻ったら、手のふるえがなんとかなる頃にはさみしくってびっくりした。

邪気とか言ってどれだけ煙いれたって足元フワフワさせたって、ずっときんいろの揺れる空気がわたしに満ちていて、きんいろの空間で感じる音楽あまりに楽しかったせいで今もそこにいないことがさみしくてさみしくてさみしくて、夜じゅう苦しいな〜って眠った。朝になったら忘れてしまう感覚がきっといっぱいいるから、ずっと夜だったらいいのにと思った(ので、夜にこれを書き始めてしまった)。

目が覚めたらきんいろが全部わたしに染み付いていて、さみしいは作りかけのわたあめみたいに内側にくっついていて、「恋人が恋人になった朝」、入学式の次の日、引っ越しを終えた翌日のあたりまえが始まる日、みたいな、そのあたりに近い、くすぐったい気持ちだった。だいすきでいてよかったな、だいすきってこうやって身体になっていくんだな、って全部愛しくなって、たぶんそういう理由で涙がでた。Morning Gloryが身体じゅうに響き渡る朝だった。

 

2024/08/13

地方仕事ついでに帰省をした日記。

このところ地元東北での仕事が多い。さいわいなことにいろいろと都合してくださるクライアントなので、今回もいろいろなお言葉に甘えさてもらい、台風に振り回されながらの帰路で途中下車して1泊2日の帰省。おばあちゃんが5月に大往生して、手を合わせたかったなとずっと思っていたのが初盆に叶ってありがたかったな

最寄駅でもない駅へおとうさんが迎えにきてくれる。そんなん初めてでちょっとくすぐったい。雑に袋に入ったトマトを渡され、下車駅で下ろしてくれたドライバーにあげなさいと言われ、言われた通りにした(お世話になってるえらい人が別車に居るのになぜドライバーに、と思いつつ、安全運転ありがと〜のお礼で渡した)、後で聞いたらべつにうちでとれたトマトではないらしい。なんか、あったんだって。なんやそら。

 

ここまで書いてひとつき忘れていた。つづきをわりかし鮮明に思い出せるので、記す。

いつも帰省というと地元のともだちに会いに行っては思い出話といまと未来の話をするようなことばかりだったのだけど、今回はわりとずっと自宅やそのちかくにだらりと居た。小学校の通学路を歩いてみたり、いくつかあるじぶんちの畑に行ってみたり、住んでいたころには無かったコンビニを冷やかしてみたり、地元の地方銀行の貯蓄口座を解約(大学のときの諸経費でほぼ消えているため)してみたり、馴染みのスーパーまでお散歩して帰り道に雨に降られてみたり。

記憶のなかに蘇る風景はもうどこにもない、と思う瞬間がそこそこあった。

通学路のどんぐり林とか、昔通ったくもん教室とか、ラジオ体操した給食センター裏とか、駄菓子屋さんみたいだったおばあちゃんのたこ焼き屋さんとか。確かに足が覚えている、確かに同じ場所なのだけど、記憶のなかにあるものと目の前の風景は確実に合致しなくて、なんかしら形が変わっていて、あるいは歪んだ記憶なのかもしれないなとも思う。それでもいいとはまだ思えていないのだけど 恋しく思う風景が失われていることをちゃんと寂しく思う(たこ焼き屋のおばあちゃんが亡くなったのも、給食センターが移転?したのも、わたしがまだ地元にいたころはるかむかしの話なのに、今更ようやくさみしい)。なんとなく、いつか、ばあちゃんのこともこんなふうに思うんだろうな、まだギリギリ寂しくなくて、全然現実味がないな…いつか、やっと、って思うんだろうなあ。あ、小学校のころの、初恋の人の自宅をまーだ覚えていて、わたしの記憶ってやっぱり最新が12歳なんだよなぁ、なんでだろなぁ、と思ったりするのだった。あのおうち、なんにも変わっていなかった。どうか適当に幸せであってくれよな。

 

滞在中、まいにちてきとうなビュッフェスタイルみたいな夕飯を食べた。それが最近の実家のスタンダードのようで、父も母もどうやらそこそこ自由に生きていて安心する。ゆるゆるだらだらアルコールと畑の野菜と過ごす時間は、ちょっといいなと思った。酔っぱらってようやくいろんな本音を話したりして、けんかしたりして、ぐずりながら眠るの、けっこう楽しかった。あーあ捨てるみたいに実家を飛び出したはずなのにな、と思いながら100回くらい笑っていた。もしかして、よい帰省だったのではないでしょうか。悪い帰省なんて多分ないんだけどね。多分ね。わたしのたましいは、どうしたって東北に帰っちゃうからね。12歳のわたしのところにね。

 

畑、ぼろぼろの通学路、青々とした田んぼ、にょきにょき生えてるみょうが、広い空と影のついた雲、ノスタルジーになるまえのまだなまなましい変化のあと、ぜんぶ全然大好きだな。急に胸が苦しくなったり、もうすこししたら、するのだろうな。この予感ってなんなんだろう。なんなのかわかんないけど、ぜんぜん愛しいなと思うのであった。

2024/07/07

夢じゃなかった夜のこと

 

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同行者きちさん

 

TaNaBaTa Night vol.16

ブログなのでそこそこ言葉を選ばないんですけど、なんかもうほんとにほとんどあまりに濃すぎるあにーさんからの全力のキスじゃん全部、と思う時間なのであった。なにそれ?(これでもギリギリ言葉を選んだ)(どうなってんだ)

そういえばなんかひとつまえの日記がどうやら4月で、ぼかしぼかし超東方LIVEの話していました。とあるバンドって言ってたTaNaBaTaの話をします。

 

思い出しの順にぽろぽろ

 

ちるの。わたしは音楽の、バンドのライブがものすごく初心者なので(どのくらい初心者かというと事前物販駆け込めたはいいものの買ったばかりのこのTシャツをいつどこで着替えたらいいかわかんなくて、開演直前にあわててお化粧室飛び込むくらい。タオルまわすときのタオルのたたみかたがわからなくて振りながら一瞬我に返るくらい)、しかも生まれついての内向的ド文化部なので、ライブのテンションについていけるのか漠然とした不安はあったんだけども(乗っかれたら楽しいことは想像できるし身をもって知ってもいて、そこまでの都度のみちのりの話)その不安をいっきに晴らしてここをホームとしていいんだぜという解放をしてくれた。ちるの。

ぎこちなくジャンプしてたところに、遊ぼうぜって言ってんじゃんほらほら!って手をひっぱってたのしい渦に巻き込んでくれた、ちるの。楽しかったっていうか嬉しかったな。なんか男性陣の声が強かったのも嬉しかった。なんでだか知らんが。なにより聞いたことないあにーさんの楽しそうなちるの連呼が聴けてとても幸せだったな。これってきっとライブ以外で聞けない声なんだろうな来れてよかったなーって、思った

 

あにーさんがたびたび言う、みんなの声、のこと、わたしはあんまり知らずに2024年までいたんだけれども、これか?これだな!これじゃん〜

わたしというのは舞台演劇業界のはしくれでスタッフを生業としている限界フリーランスをやっておりまして、(演劇って少なくとも日本では基本的に着席で私語禁止の無言をよしとしていて、拍手が客席と舞台のコミュニケーション、なのでぴんときてなかったんだよな)あにーさんが思い出す「冬」の瞬間のこと、きっとある程度具体的に身近だと思っていて、心と身体と未来、想像でしかないけど想像できて体が捩れそうになる。わたしは演者でもないのにあの「冬」に数度からだをこわしたしこころもこわした、最近やっとなおってきた。

 

(読まなくていい:興ざめを誘ってしまいかねない閑話休題ですけども、そういう業界のものなので、果たして今が「春のむこうがわ」なのかどうか、わたしにはすこしもやりとするところではある、たとえばガイドラインは私の立場からは有り難かった、守れなかったら後悔するいのちをまもれるから。ただ、むやみやたらだな、とは思っていた。ガイドライン。現状だってそうだなと、思っている。だから、でも、話は飛躍するのだけど、だけどわたしは民主主義を、わたしの身を守ってくれるって信じたくている。嘘かもしれないのにね。ここまでほんとうにただのひとりごと)なんかもう長すぎるからこれについてはたぶん今度吐き出す。

 

春の向こう側。読まなくていい先述を読んだならばそれのとおりに、わたしは個人的にいろんなことを思う。ただ、「約束の歌」なんだなって思うと涙がでる。わたしには、冬の果たせなかった約束、あきらめた約束、何年もかけて果たした約束、あたりまえに果たせた約束、あきらめかけたのに果たせた約束、いろんなことが、いろんな興行が、とくにこの四年五年くらい、あったので、ほんとに余計なんですけど、余計に。いやこれべつに業界外だってそうか。観に来るひとだってそうだよな。

で、そういうことはほんとうにどうでもよくて、大事なことはみっつで、この曲のことをわたしがとてもとても好きということと、理由があって大切であるということと、あとステージングが良すぎということです。ねえーーーーーなんだあの照明、なんだあの瞬間!!!!!! 一瞬嫉妬で絶句したあと心酔して身動き取れなくなってしまった。ぽかんだよ。グリーンとあわい紫がいましたか?もはや記憶が定かではないですが…なんだあの照明…ほんとうに…ほんとうに、なんてやさしくてあざやかな世界なんだろうと思った。神秘にさえみえた。そういえば映画ペネロピを思い出すグリーンだった。

わたしだってはやく、はやく、やさしい世界になりたい!約束の歌をわたしも歌って生きていく。

 

Unknown GirlからのKILLER TUNE、わたしの人生のTaNaBaTaの原初と最初みたいなのん立て続けに叩きつけられてしまいずっとふるえていた。Unknown Girl大合唱は声の高さむずかしくて笑ったりしちゃった。楽しかった。

これらがアンコールであるせいで、MCであにーさんが度々言う「冬」「みんなの声」「約束」「vol.77」そこを最初の足跡とした道筋、のことに、うたいながら思いを馳せてしまい、クソデカ感情で身体がはちきれそうになる。君の胸の中この手を伸ばすことができるなら、と、ひとりぼっちの部屋ではなく700人くらいのライブハウスの片隅で思った。ここにいるよーーーーー!!!!!!!と思った。(なにが?わたしが?)

たくさんの人がそうであるみたいに、わたしもあのころのニコニコ動画であにーさんを知り、好きになって、やっぱり15年くらい、細々ずっと好きではあったけど、じぶんの性格や性質もあってライブに行く日がくるなんて夢にも思ってなかった。音楽の、バンドの、って文化のことを遠い世界だと思っていた。大きい音苦手だし(なんで演劇をやっているんだ…?)(それがわからないから演劇をやっているというのはある)(脱線)

サブスクにTaNaBaTaがあるぜと気づいた日、15年くらい前の、デモDLして携帯電話に入れて登下校のときに何度も聞いていたことと、そのときにみていた真夏の東北の空と影のついた入道雲のことを思い出した。青春ということかあ。

その後思い出したときに何度か聴いて、わ〜懐かし〜などと言っていたんですけど、ある日シャッフルしてたら流れてきたKILLER TUNEを聴いて「生で聴きたい」って脈絡なく突然ばちんと思うなどしたのだった。(どうでもよ:ちなみにこのKILLER TUNE雷までの間に、わたしがそのとき仕事してた劇場のとなりでTaNaBaTa Night in Winterが行われていたことなどを当日知ってワ〜!!となったりした日があった。東京ってスゲー!と思った。まだライブハウスまでは気持ちが遠かった過日のこと)

 

こんなにじぶんのことばっか書くことになるとは思わなんだ、とここまで打って、でもこれありきの心持ちを得たため、わたしには必要な2756文字だなと納得しながらつづきをかく

 

あの冬を経てもあにーさんは音楽をつづけていてくれて、極端なこといえば生きていてくれて、音楽をやることをあきらめずにいつづけてくれて、だから二度出会えた。なんかこれに尽きるんだ2024年7月7日は

 

ほんというとライブいくまで、「前みたいに」について、なんだか寂しさや薄い嫉妬や羨望を確かに確かにおぼえていたのだけども、16年間の今までのそういう瞬間が、冬のあにーさんやみんなの手をあたためて、その手たちがいまこの瞬間をかたちづくっているんだなと染みるようにわかって、わたしは今日その温度のひとつに大喜びで加われるんだなと、ハッピーがこみあげてきてあふれて声になった。

 

あと1cmあと1cmってほんのちょっとずつ近づいてようやくライブハウスのすみっこに辿り着いたら、信じがたいパワーで抱きしめられてしまった。1cmでも近くがいいって思わされたKILLER TUNE、こんなに身体が邪魔だとポジティブな意味で思ったことはなかった。こんな容れ物がなければいますぐここにいる全員でひとつのものになれたのに!と、思いましたけどいやべつに身体あってもひとつのものになっていたんだよな。

牛歩なわたしがここにたどり着くまで歌い続けてくれていてありがとう、二度出会ってくれてありがとう、出会うまでそこにいてくれてありがとう、て気持ち。に尽きる。

 

TaNaBaTaって文学なんだよってずっと言ってて、はじめこそ歌詞の話のつもりでいたけど、ほ・ん・と・は・ねをはじめて聴いたときくらいにそれはちょっとうそなんだなと気づいた。音楽まるごと文学なんだよなと知らしめられて。あと1cmっていうアルバムは濃厚な文学で、なんてか、谷崎でいうと細雪じゃなくて刺青、みたいな……喩えが下手なんですけど……噛み付いてこぼすりんごの蜜みたいな、濃くてちょっとセンシティブでエッセンシャルな本性の原液みたいな(?)(これは完全に脱線する流れなので思い出したらまた別でぼそぼそしゃべりますけども)なんの話ししようとしてたんだっけ。理科室少女とかプラネタリウムに住みたいとかペチカの話なんですけど散らかりすぎたので一旦この話終わりです。理科室少女のテンションの上がりかたえぐかった(わたしの)。

 

たなばたさま、歌いながらあにーさんの全部じゃんと思ったのであった。わたしたちとは無関係にひかるきらきらのお星さま、そこにささやかに願いを揺らすやさしいメロディ。大切な歌をたくさんいっしょに歌えてうれしかったな。このときだけは感情がどうにもならなくて、マスク外してしまった。どうしてもここにいるよって伝えたくなってしまった。べつべつの人生なのに同じものを大切にできるのってめちゃめちゃに嬉しくて、あとなんかセクシーだねって思います。なんで?

 

コガネイロ。この瞬間が終わらないで欲しいと心の底から思った。この右手がとれちゃうまでずっと終わらないで欲しかった。ひとつだったよねえ。あと、シンプルにあにーさんかわいかったね…。あー終わらないで欲しかった〜〜〜…全部のことをわすれて、全力で夢中で音楽になっていたような気持ちさえする。いや黄金色の海になったのか……う〜〜なんの感想も言葉にならない。最高の時間だった。終わらないで欲しかった。終わらないで欲しいものは、終わるから良いものなんだよ、とは、さんざん知っているのだけども。だからこそ。これ黄金航路聴く度にも思うんだよな。ヨーホーたなばたよ光の中を往け……。(どうでもよ:黄金航路ラスサビのギターのぎゅいーんだいすき、だいすきなのにライブのときの記憶なくてぴいぴい言っている。)

 

なんかふと、あにーさんが歌っているようで、あにーさんに向かう私たちのことばかり歌っていないか?と思うのだった。あるいは、あにーさんが欲しい言葉なのかもしれない?などと、うそかもしれないことを思った。ひとりじゃないというメッセージな気がしている。冬、を聞きすぎたせいでそう思うのかなあ。冬のせいであにーさんから離れるひとなんかいないよって、あなたのことを大好きな人たちはそんなのに負けないくらいあなたのことをずっと好きだよって、わかんないけどすごく思った。真偽はそもそも無いので確かめようはないのだけど、確証はあの日の渋谷にぜんぶある。と思う。あにーさんのことTaNaBaTaのこと大好きだよ。出会ってくれてありがとう(何度ぐるぐるしても結局これに尽きるんだねえ)

 

永遠にぽつぽつ書いてしまうのでもういい加減一旦終わりです。いまホログラム聴いてしまっているせいでまた書きそうになってる。終わりです。終わりです。7/11。

 

 

2024/04/25

1年と2ヶ月ぶり。に、はてなブログをひらく。とくになにか書きたいことがあるわけではない。思い出したので、思い出したことを記しておきたいな、くらいの気持ち。

 

近況。引越し、新居のことばかりを考えている。いまの家から電車で一時間半。都内から都内だけど、ずいぶん果てから果てへ。なんだかんだと色々なところを転々として生きていたので、はじめて、自分の名義でちゃんと借りるお部屋。そのせいで、ずっと、そわそわわくわくしている。築40年木造バストイレ別専用庭付2DK、なんて甘美な響きなんだ…………。

生活の軸をじぶんの近くに限りなく寄せられる(間借りや居候やシェアハウスだとやっぱりどうしても他者を介入させないといけない)こと、幸福だなって思う。たのしみだな。私の城。

生活音がちゃんと気になる木造だから、音の良いヘッドホンを買おうね。

 

きのう、生まれて初めてちゃんとしたライブに行った(高校の時の他校の音楽部のライブと、アイドルのコンサートは、ある。ぜんぜんべつのものでしょう)。目的のバンドの人とお話しする機会があって、たのしかったです、と言ったら、でしょ!?って子どもみたいな声が返ってきて、わたしはその瞬間のことずっと前から知っていたような気持ちになった。なんでだかわからないけどそういうことが多い。期待通りという意味かもしれないし、想定内という意味かもしれないし、わかんないけど、すごく安心したんだよな。二度出会うものってみんな運命なので(かまち然り)こんな運命でよかったなぁって思った。ずっと心がぎゅんぎゅんしてるなあ。谷崎か川端康成などが読みたい。本、荷造りしてしまってから読みたくなって困るな。

 

かかえきれるぎりぎりを結構オーバーした量の仕事をかかえている。たぶん要領よくやれば普通にできるんだけど、いろいろ問題はあってなかなか叶わない。きちいな〜と思いつつ、たからもの眺めてなんとか乗り切っている。乗り切りおわったら、たからもの開封しようね。

2023/02/18

なんと日記をつくってきちんと3日で放置してちょうど1年ほどだった。

すごい。2月ってなにか記したくてたまらなくなったりするのだろうか。

 

相変わらず雑に、見栄を張りながら、でもプライドはかなぐり捨てつつ、なんとか生活に縋り付いている。仕事は忙しい。とはいえ。スケジュール帳を眺めてマネジメント能力の低さにためいきをこぼしている。同世代よりずっとへたくそでいやになる。(けど正直愛しくもある。)仕事のメールやラインを眺めて己のお人好しさに苛つき、散らかった部屋を眺めてベッドに寝転び1日をずるりと終えたりもしている。アアだめにんげん……と罵りそうになるのをぐっとこらえて、とりあえず生きてえらい、と自己肯定をしてなんとか人の形を保っている。今年31歳になるのだけど、ぜんぜんいまも、1人で寝起きやはみがきやごはんやお風呂やお掃除などがちゃんとできることを褒められたりしたい。光熱費も税金も年金も確定申告も手続きができてえらいので100倍褒められたい。

 

ゆうべ久しぶりに映画をみた。(スマホで、アマプラ配信で、パズルゲームのかたわらに、)3本。3本のうち1本があまりにも浅い印象のもので、おなじ監督の別の作品のインパクトのことを思い出して「ほんとうに……?」などと思ったのだけど、べつにおなじ監督だからっていちいちおなじくらいの爪痕残されてもたいへんか、と間抜けな感想を持った。脳みそが疲れているのでむずかしい言葉で考えごとができないな。

のこりの2本は、いよいよ観れたという気持ちのやつと、履修、という気持ちのやつだった。戦争シーンがちゃんと出てくる映画、ちゃんと嫌な気持ちになる。マカヴォイがでている『つぐない』を観たときにも思ったんだけど、戦争ってちゃんといやですね。ほんとうに。