とかげのしっぽ

切り落としても死なない

2022/02/20

せめて三日は続けて書きたい……と思って日付変更から一時間を過ぎて書き始めている。とか言いつつ、明日から初めましての仕事現場に入るので明日書けるかわからない。

 

とはいえ今日はなんもかんもだめな日だったのであんまり書くことはない。ちゃんと朝に起きたのに、寒くて、あと身体中が痛くて唸りながら三度寝をした。

そういえば昨夜恩師の本はお風呂に持ち込んだけど結局YouTube見てしまって読まずに出た。いっしょにお風呂に入っただけだった。よいのだ。本は持っているだけで価値なので……。そういう意味でも電子書籍より紙派である。へりくつ。よいのだ。

持っているだけで価値というか、持ちさえすればいつでもタダで読めるのだ〜すごい!という気の抜けた話をして、青空文庫の立場よと言われたことがあるけど(そのときちょうど、青空文庫で公開されている年代の本ばかりを買っていた頃だった)それもなんというか違うのだ。青空文庫のこと好きだけど、自分のものではないので違うのだ。ネットニュースと同じ感覚というか、情報を摂取している感じで、本読んでいる気持ちとは別のものがはたらく気がする。キンドルで購入してのめり込んで一所懸命読んだ本もあるはあるけど、そういう感覚はそのまんまあった。キンドル青空文庫スマホアプリも、縦書きになったところでそれはどうやらわたしのなかでは特段変わらなかった。理解されなくてもよいはずなのにその話をしたときなんだか少しムキになったのはなぜだったのだろう。どうでもよいことだけれども。

 

今日はお仕事ほんの少しだけした。あとはだいたいたばこを吸ったり、確定申告の用意と言いながらたくさんの領収書の山をただただ眺めたり、メモ帳にらくがきをしたり、久々にごはんを炊いたり、なくなりかけの牛乳を飲んだりしていた。ライン通知が溜まるとストレスがどんどん発酵していくのを知っているので、仕事のラインがもりもり来るたびにちゃんと返信をしてえらかった。普通なのだろうが、このストレスのコストを分析して天秤にかけてそのあと自分を納得させて起動して読んで咀嚼してお返事をすることけっこう苦手だった。苦手だったのにできるようになってえらい。単純に仕事関連いろいろな事項に対しての判断力がついたことが大きな要因だと思う。細々、ゆるゆる、だらだらとでも続けていてとてもえらい……。

 

年明け以降、自分の仕事について、同じ仕事をしている別の人のいろいろな(よろしくないと思しき)挙動をたくさん見ている。わたしって思ったよりちゃんと仕事をしていたのでは、という薄い自信や安心のようなものと、業界に対してのなんだかなぁという気持ちと、それらを経たうえではたして自分ってほんとうにできているのかという自省がごちゃまぜになっている。

業界に携わってどうやら八年目くらいになる(今数えてみてびっくりした)。はじめの六年くらいはひたすらに足元の石にだけ注意してずっと走っている感じだった。このころの、実績としての成功体験があまりにも乏しいことを、何度か色々な人に言われて数年前にやっと気づいた。

成功体験という言葉でなるほどと腑に落ちてしまって以来、そこに固執しているような気がする。いま、他者のどんなアウトな挙動を見てうすらぼんやりとした自信を獲得したところで、喉から手が出るほど欲している成功体験によるそれとはたぶん決定的に違うんだろうなと思ったりしている。知っているし隠しているのだけどわたしはけっこう欲張りだ。

 

さいころおばあちゃんと一緒にお風呂に入るといつも「人のふり見て我がふり直せ」をこんこんと説かれたものだった。そのせいで立派にわたしの座右の銘のひとつになっている。しゃんとした冷静な脳味噌をもってくれば、どんな他者の行動も自分に落とし込んでいけるはずで、反面教師として自分の行動に反映していくなり、自分の仕事に値段をつけるときの参考にするなりができるはずなのに、かなしいかな謎に感情的になってしまう。なんでよ。自分にもまだわからないへんなスイッチがあるんだろうと思う。へんなの。大人になりたい。

 

夜、ああ暗くなってきた、なくらいの時間に、寒くて眠くて怠くて、うっかりハンモックではなくベッドに入ってしまって、気づいたら日付変更直前くらいだった。自己嫌悪に項垂れそうになりながらスマホをひらいたら親友からごきげんな連絡が来ていて、寝覚めのガタガタのあたまやからだがほころんだ。素敵な写真を眺めて一時間を過ごしてようやくベッドから起き上がって今に至ります。たばこを吸って、つめたいお茶を飲んで、お風呂に入って、明日の準備をして、眠れたら眠ろうかな。